IN M&A · ISSUE 507
● 12 SEC店や事業を引き継ぐ話には、「大事な人にはボーナスを積めば残ってくれる」という考えがついて回ります。シラバス側は逆に「引き留めたい人ほど金では引き留まらない」と書きます。この号はどちらにも乗らず、研究が実際に測ったもの——離職の規模、離職と業績、残るか去るかを分けた要因——を並べます。
先に向きを言うと、金銭で人を残せるかは、この号の6本の研究のどれも測っていません。M&Aのリテンションボーナス(残ってもらうための特別な報酬)の効果を因果的に測った査読研究も、見つかりませんでした。「ボーナスは効かない」とも書きません。扱う研究は買収された会社の経営陣が中心で、日本の小さな商いで働く人に当てはめることもしません。
リテンション(定着)は、買収のあとも鍵となる人に残ってもらうことです。シラバス側は、会社の価値の多くが勘を持つ職人や常連を覚える店員のような人にある、と書きます。ただし研究が数えられるのは「人心」そのものではなく、辞めたか残ったかという離職の記録です。ここで読む研究の多くは、買収された会社のトップの経営陣を追ったものです。

では、買収のあと人はどれくらい去り、何が残るか去るかを分けていたのか。6本はいずれも査読誌の研究で、うち1本は事例を深く調べる質的研究です。全文まで読めたのは6点のうち0点で、どれも公式の要旨までです。読めていないものについては書きません。
01経営陣の離職は通常より高く、目立つ幹部ほど早かった。1988年の研究は、買収された会社のトップの経営陣の雇用状況を、買収の日から5年間追いました。離職率は「通常」の離職率より有意に高く、目立つ、ごく上位の幹部ほど早く去る傾向でした。関連事業どうしの買収かどうかでは、離職率の違いは説明できませんでした。離職率の数値は、要旨には書かれていません。
02幹部の離職は、買収後の業績の低さと結びついていた。1980〜84年の96件の買収を調べた1993年の研究では、買われた会社の幹部の離職が買収後の業績の低さと結びつき、著者は業績を損なうと結論しました。負の影響は最上位の経営者(CEO・社長・会長)ほど大きく、統合後の会社でトップの経営陣の地位を与えた場合は業績が良かった。
03残るか去るかは、合併の受け止め方で約8割を判別できた。多国籍企業の経営陣を調べた2001年の研究では、合併の発表・合併後の買い手の経営陣との交流・合併の長期の影響をどう受け止めたかが、残るか去るかの決定と結びついていました。その受け止め方で、残った人と去った人の約80%(約8割)を正しく判別できました。報酬やボーナスは、要旨の変数にありません。

ここから先は研究が示した結果ではなく、記録の単位を決めてみるためにALIFEが提案する読み筋です。「鍵の人が誰かを先に特定する」「金より働きがい」といったシラバス側の言い方も、ここで挙げた研究が確かめたものではなく、編集側の命題です。
01去る人の話を、金額から始めている。金銭で残せるかは、6本のどれも測っていません。2001年の研究で残るか去るかと結びついていたのは、発表・交流・長期の影響の受け止め方でした。ただし報酬が統計の調整に入っていたかは、全文を読めていないため分かりません。
02買い手が誰かで、離職の起き方が変わることを数えていない。1997年の研究は、米国企業を対象に国境を越えた買収168件・国内の買収102件・買収されていない120社を比べ、外国の買い手に買収された企業で経営陣の離職率が有意に高く、離職の時期も違ったと報告しました。2001年の研究でも、外資の多国籍企業に買収されると去りやすかった。
03人が去る理由を、お金か心かの二択で考えている。2003年の研究では、買われた会社のCEOの離職は、CEOの年齢と、買収が関連事業どうしかどうかで説明されました。著者は、会社とCEOの双方が、その会社に特有の能力への投資の費用を、回収できる時間と見込める価値に照らして比べているようだ、と人的資本理論で読んでいます。

この号は、ボーナスで人を残せるとも残せないとも書きません。6本はどれも、報酬やボーナスを比べた研究ではありません。論文データベース2種で「リテンションボーナス」などの語を調べても、M&Aでその効果を因果的に測った査読研究は見つかりませんでした。見つからないことは、効かないことの証明ではありません。
2001年の研究の要旨は、問いを“executives' perceptions of merger events”(経営陣が合併の出来事をどう受け止めたか)に置いています。6本のうち5本は経営陣の離職を調べた研究で、国が明記されているのは1997年の研究の米国企業だけです。日本の小さな商いで働く人の定着に同じ向きが出るかは書きません。
買収された会社の経営陣が残るか去るかは、
合併の受け止め方で約8割を判別できた。
金銭で残せるかは、6本のどれも測っていない。
シラバス側は、設計図やレシピは引き継げても使いこなす勘は人の頭にある、と書きます。技術系の買収7事例を深く調べた2002年の質的研究は、買われた会社の知識の性質と統合の進め方が、技術と能力の移転の成否に単独でも組み合わせでも関わるというモデルを示しました。「勘は人にある」は、この研究が数えたものではなく編集側の見立てです。
TRY IT TODAY
- 01DATE
今日の日付を書き、自分の事業か、引き継ぐかもしれない事業か、どちらの想定で書くかを一行目に記す。
- 02LOG
抜けたら回らなくなる仕事を一つ挙げ、それが止まると何が失われるか(味・取引先の信頼・段取り・常連との関係など)を書く。人の良し悪しや順位は書かない。
- 03SORT
その仕事を担う人が残りたいと思えそうな理由を書き出し、「お金」「受け止め方(知らされ方・話す相手・先の見通し)」「その他」に分けて数える。効くかどうかは判定しない。
この号が運べたのは次のことです。買収された会社の経営陣の離職は通常より高く、目立つ幹部ほど早かったこと。幹部の離職は買収後の業績の低さと結びついていたこと。残るか去るかは合併の受け止め方で約8割を判別できたこと。外資の買い手では離職が多く、CEOの離職は年齢と関連性で説明されたこと。
ボーナスの効き目は、そのどれにも入っていません。書き出した一枚は引き留めの処方ではなく、何が測られ、何がまだ測られていないかを分けて見るための記録です。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS「買収先の人心を掴むには?」を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 統計的に有意
- 「偶然だけでは説明しにくい」という意味の専門用語。効果が大きい・重要だという意味ではありません。ごく小さな差でも、人数が多ければ有意になります。