IN M&A · ISSUE 502
● 12 SEC事業や店を買うとき、高値掴み(その事業の値打ち以上に払うこと)は避けたいものです。よく聞くのは「競り合いになると値が吊り上がり、いちばん払い過ぎる人が勝つ」という見方。この号は、売り方の形と売り手の得、買い手の側の払い過ぎ、解約金の条項の三つを確かめます。
先に向きを言うと、1990年代の上場企業の売却では、競りでも一対一の交渉でも、売り手の株主の得は同程度でした。払い過ぎの手がかりが報告されたのは、買い手の見積もりと経営陣の誘因の側です。扱う研究はいずれも上場企業の株価や上乗せ価格を測ったもので、国が分かるのは米国と中国。株価の数値は書かず、日本の小さな商いの売買にも当てはめません。
買収プレミアムは、買い手が被買収企業の株主に、株の相場へ上乗せして払う分です。2007年の研究は、1990年代の企業売却を公表前の非公開の手続きまでさかのぼり、売却の半分は複数の買い手による競り、残りは一人の買い手との交渉だったと報告しました。“the wealth effects for target shareholders are comparable in auctions and negotiations”(被買収企業の株主の富の変化は、競りと交渉で同程度だった)。

では、払い過ぎの跡はどこに出ていたのか。ここからは買い手の側を見ます。ただし、競争の激しさそのものが無関係だとは言えません(限界の節で触れます)。研究論文6点のうち、全文まで読めたのは1点の作業論文版だけで、ほかは公式の要旨までです。読めていないものについては書きません。
0196件の58%で、落札の上乗せが見込みの利得を超えていた。1987年の実務家向けの金融誌の論文は、1974〜83年に完了した96件の買収を調べました。落札の上乗せは平均で市場の見込む買収の利得を上回り、上回った58%の案件では、落札した買い手の超過リターン(市場全体の動きを差し引いた株価の動き)が負、ほかの案件では正でした。
02非上場の買い手は低く払い、差は経営陣の持株で変わった。米国の上場企業の買収を調べた2008年の研究では、PE(プライベート・エクイティ)ファンドや非上場の事業会社が買い手のとき、上場企業が買い手のときより上乗せが低く、差はとくにPEファンドとの間で大きめでした。差は、経営陣の持株が低い上場の買い手と比べたとき最大、高いとき最小。PEファンドは出資者の資金で買うので「自分の金」ではありません。
03中国の上場企業では、経営者の自信過剰と上乗せが結びついていた。中国A株の上場企業による2008〜2015年の買収を調べた2019年の研究は、経営者の自信過剰と上乗せ価格の正の相関を報告しました。関連は国有企業より民営企業で強く、借り入れの余力が大きいほど強まっていました。買収後の業績への影響は扱っていない、と著者は限界に書いています。

ここから先は研究が示した結果ではなく、記録の単位を決めてみるためにALIFEが提案する読み筋です。シラバス側は「これ以上は払わない」上限を先に書くこと(ウォークアウェイ価格)を規律の中身に置きます。ただ、その効果を確かめた研究は、全文まで読めた1点にも、ほかの要旨の範囲にもありません。編集側の推論です。
01「ほかにも買い手がいる」と聞いて、上限を書き直している。1987年の論文の著者は、“bidders should bid less (proportionate to their value estimates) as the degree of uncertainty about the size of takeover gains and the degree of competition for control of the target increase”(利得の不確かさと競争が増すほど、見積もりに比べ低く入れるべき)と説きます。実証の結論ではなく提言です。
02好調な年だから、多めに入れても平気だと感じている。1988年の研究は、勝った買い手の買収前の利益率が高いほど、買い手どうしの見積もりの割れが大きいほど、支配権をめぐる競争が激しいほど、勝者の呪いは大きくなると予測しました。実証の結果は仮説を支持した、と要旨は書いています。本文までは読めていません。
03解約金の条項を、売り手に不利な縛りと決めつけている。2003年の研究では、被買収側が解約金(破談時に買い手へ払う違約金)を約束した案件のほうが上乗せも成立率も高く、競合の入札を妨げるという見方への支持は弱いものでした。著者の結論は“at least not harmful, and is likely beneficial, to target shareholders”(被買収側の株主に少なくとも害はなく、おそらく有益)。

6点はいずれも上場企業の買収を、上乗せ価格や発表前後の株価で測った研究です。株価の反応は市場の評価であって、払い過ぎたかどうかの直接の測定ではありません。国が分かるのは米国と中国の標本で、この号は、日本の小さな商いの事業承継や店の売買で同じ向きが出るかは書きません。
一方で「競争は関係ない」とも言えません。2007年の研究が比べたのは売り方の形と売り手の株主の得で、買い手の払い過ぎそのものではありません。1988年の研究は、競争が激しいほど呪いが大きくなると予測しています。2008年の研究の作業論文版には、非上場の買い手のほうが申し出を撤回する割合が高いという報告もありますが、関連の報告にとどまります。
1990年代の上場企業の売却では、
競りでも一対一の交渉でも、
売り手の株主の得は同程度だった。
シラバス側は、競争は構造的に払い過ぎる人を選ぶ、と書きます。売り方の形を比べた研究が測ったのは売り手の側で、売り手の株主の得は競りでも一対一でも同程度でした。買い手の払い過ぎを直接に否定する結果ではありません。研究が支えるのは、勝者の呪いの検証、経営陣の誘因で変わる上乗せの差、中国の上場企業での自信過剰との相関、解約金の条項が売り手に不利とは限らないこと、までです。
TRY IT TODAY
- 01DATE
今日の日付を書き、事業・設備・まとまった在庫など、もし買うとしたら何かを一つ決める。相手の名前や言い値は、まだ見ない。
- 02LOG
「これを超えたら見送る」上限を一つ書き、それを超えて払いたくなりそうな場面(競合が現れた・時間がなくなった・気に入られたい・ここまでの手間が惜しい)を書き足す。
- 03SORT
場面ごとに、書いた上限に立ち返るための一言を添え、上限の額と場面の数だけを書き残す。良し悪しは判定しない。
この号が運べたのは三段です。1990年代の上場企業の売却では、競りでも一対一の交渉でも、売り手の株主の得は同程度だったこと。勝者の呪い・経営陣の誘因・自信過剰という買い手の側の跡が、それぞれ別の標本で報告されていたこと。解約金の条項は、売り手の株主に不利とは限らなかったこと。
上限を先に書く一枚は、払い過ぎを防ぐ約束ではありません。競りに勝ったあとで、自分の値付けを点検するための記録です。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS「高値掴みを避けるには?」を、もっと深く学ぶ。→
