IN LEGAL NEGOTIATION · ISSUE 474
● 12 SEC話がまとまったら、書面にする。そこまでやれば、ひと区切り——そう思われています。けれど、紙にできたかどうかと、その中身が自分にとって良かったかどうかは、別のことです。
この号が運ぶのは、紙は決めた中身を書き換えないという一点だけです。合意書の書き方も、その取り決めが法的に有効かどうかの判断も、ここでは書きません。
合意の罠(agreement trap)とは、手元にある別の道より条件の悪い取り決めを、それでも結んでしまうことです。2014年の研究は、買い手と売り手の利害がそもそも噛み合わないように作られた、不動産取引の模擬交渉を使いました。この設定では、まとめないこと自体が正解になります。

その模擬交渉を、一人対一人・二人組どうし・三人組どうしの三つの形で行った結果が報告されています。この号が全文まで読めたのは5点のうち2点。読めていないものについては書きません。
01一人で臨んだ側のほうが、まとめていた。2014年の研究は、二つの大学の経営学修士課程の授業で、不動産取引の模擬交渉を行いました。買い手と売り手の利害は噛み合わないように作られ、まとめないことが正解です。319件の交渉で、まとまらずに終えた割合は、一人対一人で30%、二人組どうしで56%、三人組どうしで47%。一人と組んだ側の差は統計上たしかで、二人組と三人組のあいだには差がありませんでした。
02結ばれた合意が、手元の別の道より悪いことがあった。2016年の研究の五つ目は、140名が参加した対面の模擬交渉(雇用契約)で、結果は授業の成績と結びついていました。参加者は、話がまとまらなかったときに自分が取れる道の点数を、あらかじめ知らされています。それでも、合意に達した43組のうち31組では、その合意はどちらか一方にとって、手元の道より値打ちが低いものでした。同じ研究の他の四つのうち三つは online の配分課題、一つは経営学修士の学生の課題です。
03縛りを外したとたん、信頼は下がった。2002年の研究は、二つの実験室の実験で、拘束力のある取り決めと拘束力のない取り決めを比べました。報告されたのは、相手が協力したとき、それを取り決めのせいと受け取るなら相手そのものへの信頼は育ちにくいこと。そして、いったん認められていた拘束力のある取り決めが使えなくなったとき、信頼は大きく下がったこと。拘束力のないほうは、外しても下がり方が小さいものでした。

ここから先は研究が示した結果ではなく、記録の単位を決めてみるためにALIFEが提案する読み筋です。急いで書面にしたくなるとき、手元では何が起きているか。
01まとめること自体が、目的になっている。何を取り決めるかより、今日じゅうに決めたい、という気持ちのほうが前に出ている。2016年の報告が挙げたのは、合意という結果そのものに引力があり、なかでも決裂を避けたい気持ちのほうが強く働いていた、という向きです。ただしこれは、成績と結びついた模擬交渉での話です。
02まとまらなかった場合を、数えていない。この話が流れたら自分はどうするか、を書き出していない。2016年の模擬交渉では、参加者はその道の点数を知らされてなお、それより悪い合意に達した組がありました。知っていることと、並べて比べることは別だ、という話です。
03細かく縛るほど、安心だと感じている。条項を増やすほど守られる、と感じる。2002年の実験が報告したのは逆の側で、拘束力のある取り決めのもとで得られた協力は相手そのものへの信頼に結びつきにくく、その縛りを外したときに信頼は大きく下がりました。組織のあいだではなく、人と人の実験室での話です。

ここまで読むと、まとめないほうがいつでも良いように見えます。そうではありません。2001年に出た研究は、三つの調査で、まとまらずに終えた人とまとめた人の経験を比べました。まとまらずに終えた側は、自分の成績を失敗と解釈し、否定的な感情を抱き、相手と進め方への見方を悪くしていた、と報告されています。
同じ報告では、その後の意向も下がっていました——また一緒に仕事をしたいと思わない、情報を共有する気が減る、協力的にふるまう気が減る。そして、もめごとを解く手立てとしての交渉そのものへの信頼を失う。この連鎖から守られていたのは、自分ならやれるという感覚(自己効力感)が比較的高い人たちでした。“negotiators with relatively high levels of self-efficacy were insulated from some of these negative outcomes”(自己効力感が比較的高い交渉者は、これらの否定的な結果のいくつかから守られていた)。まとめずに終えることは、無償ではありません。
紙は、悪い合意を
良い合意には変えない。
文書を軽んじる話でもありません。2014年に出た総説——個々の実験ではなく、それまでの研究を見渡して整理した論文——は、企業のあいだの契約の研究が、相手を縛って守る働きだけを見る狭い焦点から、調整と適応を併せて見る広い焦点へ移りつつある、とまとめています——“moving away from a narrow focus on contract structure and its safeguarding function toward a broader focus that also highlights adaptation and coordination”。これは組織のあいだの契約を扱った整理で、個人どうしの取り決めに同じことが当てはまるかは、ここからは言えません。
TRY IT TODAY
- 01DATE
今日の日付を書き、いま結ぼうとしている(または最近結んだ)取り決めを一つだけ書き出す。
- 02WRITE
その一件がまとまらなかった場合に自分が取る道を、思いつくだけ書き出す。次に、いまの条件とその道を並べて、どちらのほうが自分にとって値打ちがあるかを書く。
- 03MARK
書いた項目を、文書に書ける部分と書ききれない部分に分けて印をつけ、記録の最後に書き添える。
この号が運べたのは二段です。まとめること自体に引力があり、手元の別の道より悪い合意でも結ばれていた。そして、細かく縛る取り決めは、外したときに信頼を落としていた。どちらも、紙に落とす前の段の話です。
いずれも実験室と授業の模擬交渉から来た知見で、日本の小さな商いで同じことが起きるかどうかは、ここからは言えません。次に見るのは、まとめないという選び方——席を立つことそのものの値打ちと、その代償です。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS「合意を文書に落とすには?」を、もっと深く学ぶ。→
