IN PEOPLE SYSTEMS · ISSUE 445
● 12 SEC「うちの給料は高いのか安いのか。相場に合わせれば釣り合う」。この言い方には、決めた側が市場に従っただけと言える楽さがあります。
この号が読むのは、その相場がどう作られているかを実際に測った研究です。ただし測られた場所は、ほとんどが米国の上場企業の社長・役員報酬でした。小さな組織の給与にそのまま移せる話は書きません。
報酬ベンチマーク(pay benchmarking)は、自社の報酬を、比較対象に選んだ会社の集まりの水準と見比べて決める手続きです。1986年、ある人事心理学の学術誌に出た論考が、その前提を問いました——「市場賃金」という考えそのものも、それを測る賃金サーベイの手続きも、十分には検討されてこなかった。“both the construct and the measurement of the market wage have not been sufficiently examined”。実証データを持つ研究ではなく、当時の同一価値労働をめぐる裁判を背景にした概説・批判の論文です。

では、その手続きは実際に何をしているのか。ここから先の数字は、すべて米国の上場企業の社長・役員報酬を対象にした研究から出ています。引くのは幹部報酬の多寡を論じるためではなく、相場に合わせるという道具が、水準をどう動かすかを見るためです。
01ほとんどの会社が、隣を見ていた。1997年の開示文書を無作為に100社読むと、96社が比較対象の会社群を使うと記していました。同じ研究が1992〜2005年の報酬データ(観測15,329件)で測ると、前年に比較対象の真ん中(中央値)より下だった社長のほうが、年あたりの総報酬の増え方が約130万ドル大きい。規模と業績を差し引いた差です。ただし著者たちはこれを引き留めの調整と読み、市場賃金を測る効率的な仕組みだという側を支持すると結びました——“generally support the latter view”。
02比べる相手のほうが、選ばれていた。2010年、開示された比較対象グループの中身を調べた研究は、業種・規模・知名度・責任範囲・人材の移動を差し引いたうえで、企業は自社の報酬を正当化できる高報酬の会社を比較相手に選んでいるように見えると報告しました。“firms appear to select highly paid peers to justify their CEO compensation”。傾向が強いのは、比較対象が少ない・社長が議長を兼ねる・在任が長い・取締役が他社を多く兼ねる企業です。
03公開させても、消えなかった。2006年に米国で比較対象の開示が義務づけられた後を調べた2013年の研究は、戦略的な比較対象の選択は開示の強化後も消えず、むしろ強まったと報告しています。“strategic peer benchmarking did not disappear after enhanced disclosure”。強まったのは、機関投資家の持ち分が小さい・取締役会が多忙・社長が就任して間もない企業。透明にすれば消える、という見立ては、この標本の範囲では支持されませんでした。

手元の話に戻します。次の3つは効果が確かめられた手順ではなく、上の研究が何を測ったのかを、自分の言い方に当ててみるための目印です。
01誰が答えた数字か、言えない。相場の出どころ——誰が集め、いつの、何人分で、どの職種の定義で集計したか。1986年の論考が問うたのは、まさにその手続きの側でした。高いか安いかの前に、その数字が何を数えたものかを言えるかどうかが分かれ目になります。
02比べる相手を、自分で選んでいる。上場企業で測られたのは、比較相手を選ぶ自由が水準を動かしうること。同じ自由は、求人情報のどれを「同じ仕事」と見なすかにもあります。ただしこれは、上場企業の結果が小さな組織でも同じように起きる、という意味ではありません。
03一つの額を、相場だと思っている。約16,000人の上位・中間管理職と200組織を追った1990年の縦断研究は、組織の間に偶然では説明しにくい報酬の差(統計的に有意な差)を見つけました。ただしその差がいちばん小さかったのは基本給の水準で、大きかったのは賞与の水準と長期インセンティブの対象になるかどうか。“The smallest organization effects are on the level of base pay”。

皆が市場に合わせるほど水準が上がる、という筋書きには、2010年に社会学の学術誌へ出た研究があります。ただしそれは理論の論証と、役員報酬データに基づく反実仮想シミュレーション(実際に起きたことではなく、条件を変えた場合を計算で置いてみる手法)であり、著者たち自身の書き方は“potentially explain a considerable fraction”——社長どうしの跳び越えが1990年代初頭以降の役員報酬の上昇の相当部分を説明しうる、です。それだけ押し上げたと測ったわけではありません。
向きも一つではありません。同じ仕組みを測った2008年の研究は、機会主義ではなく引き留めのための調整だと読んでいます。そして全文まで読めたのは6点のうち1点で、残りは公式の要旨までです。読めていないものについては書きません。
上場企業で測られたのは、
合わせる相手を選ぶ自由だった。
だから、相場を見るのをやめる必要はありません。見たうえで、その数字が誰の・いつの・何人分かを言えるようにしておく——ここまでの研究が支えているのは、そこまでです。給与や労務の判断そのものは、社会保険労務士や弁護士などの専門家に相談してください。
TRY IT TODAY
- 01PICK
今日の日付を書く。相場や市場水準を根拠に報酬を決めた、あるいは決めようとした判断を一つ選ぶ。
- 02TRACE
その相場をどこから得たかと、誰が集めた・いつの・何人分・どの職種の数字かを、思い出せる範囲で書く。
- 03MARK
見ていた位置(真ん中・上のほう・下のほう)を書き、出どころが思い出せない項目に印を付ける。
市場がこう言っている、という言い方は、決めた人の判断を、顔の見えない市場へ肩代わりさせます。上場企業で測られたのは、その市場の側にも比較相手を選んだ人がいた、ということでした。手元の相場がどこから来たのかを一度言葉にしておけば、額を決めて理由を説明する役目を、数字に預けずに済みます。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS「市場水準と釣り合わせるには?」を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 観察研究・前向き研究
- 介入せずに経過を追いかける研究。「関連がある」までは言えますが、「それが原因だ」とは言い切れません。
- 統計的に有意
- 「偶然だけでは説明しにくい」という意味の専門用語。効果が大きい・重要だという意味ではありません。ごく小さな差でも、人数が多ければ有意になります。
- 中央値
- 全員を並べたときの、ちょうど真ん中の人の値。平均と違って、極端な値に引っ張られません。
