IN ORGANIZATIONAL FORTUNE · ISSUE 278
● 12 SEC会議に一人、反対役を置く。悪魔の代弁者と呼ばれる役で、案に賛成でも反対でもない人が、わざと穴を探します。この助言には、実験があります。1986年の研究が、この手続きを、弁証法的討議と合意という二つのやり方と並べて比べました。
抄録の前半は、弁証法的討議と悪魔の代弁者のどちらもが、合意よりも質の高い提言と前提へ至った、と書きます。ここで止めると「反対役を置けば良くなる」で終わる。同じ抄録には、続きがあります——"greater acceptance of their groups' decisions"(自分たちの集団の決定へのより大きな受容)を示したのは、合意の集団の被験者のほうでした。
質が高いと出た側と、自分たちの決定を受け入れた側が、同じではありません。3年後の追試も同じ形で、被験者は"fast-advancing middle managers involved in strategic planning"(戦略計画に携わる昇進の早い中間管理職)。二つの抄録がそろって書いているのは、場所です。どちらも実験室研究だと、原典が名乗っています。
組織的認知バイアス制御力(debiasing process)が問うのは、思い込みのまま決めることを手続きの側で減らせるか、です。比べられてきたやり方は三つ。合意——議論して全員が納得できる一つの案に寄せる。悪魔の代弁者——案を作り、別の人が弱点だけを批判して直す。弁証法的討議——別の前提に立つ二つの案を作り、突き合わせてから決める。
反対役を置いた集団と、何もしない集団を比べても、比べているのは「何かをやったかどうか」になる。合意を対照に置いて、はじめて、反対を組み込む形が違いを出すのかを切り分けられます。単位は個人ではなく集団——実験室の中で組まれたグループです。
この号には、効果の大きさの数字が1つもありません。読めた範囲に、効果量も、信頼区間も、統計的な比較に使われた群の大きさも印字がないからです。無作為な割り付けの記述も6本のどこにもなく、1969年は本文全文で「無作為」も「統制群」も、有意性を表す語も0件でした。因果の言い方は、していません。

三つを並べる形が現れるのは1986年からで、出発点の1969年の論文に、手続きとしての「合意」は出てきません(その語は1件だけ、別の一般の意味で現れます)。まず開いたのは、この3本です。
011986年の比較は、質では反対を組み込んだ二つが合意を上回り、受容は合意の側が上だった。抄録は被験者を「被験者」としか書かず、人数・性別・年齢・国籍の記載がありません。「学生◯名」とも「管理職◯名」とも書けません。本文には未到達で、無作為な割り付けの記述も抄録にはありません。
021989年の追試は、被験者が学生ではなく中間管理職。質は有意に高く、受容は低かった。共著者2名が1986年と共通で、独立した検証ではありません。質は合意の集団より有意に〔偶然では説明しにくい差〕高く、受容は低い。"There were no differences between dialectical inquiry and devil's advocacy groups."(弁証法的討議と悪魔の代弁者の集団のあいだに、差は無かった)。時間を追って測る設計で、三つとも経験を積むと質も反応も改善し、時間は短くなったと書きます。
031969年の出発点は、仮名の企業の現場の事例。統制群も検定もなく、報告は6名の回答。仮名の研磨材メーカーで、本文の全文まで読めたのはこの1本だけ。参加は20名、最初から関与した3名は報告対象の6名に含まれません。結果は「6名の幹部は全員、前提を再考させられたと報告した」「したがって統合が起きたと推論できる」まで。およそ6か月後、それは戦略の一部になっていました。

原典の抄録は動きません。動くのは、要約されていく途中のほうです。落ちやすいのは3か所。
01「メタ分析で示されている」と言うとき、2本ある集計のどちらかが落ちる。メタ分析〔研究の結果を統計的に足し合わせる集計〕は2本。1本目は1989年の4頁の研究ノートで、"The use of meta-analysis leads to different conclusions from those drawn in an earlier review of these studies."(先行のレビューが導いたのとは異なる結論になる)。採録本数も効果の大きさも印字がなく、分母の単位は原典の語で「研究の集まり」です。2本目は翌1990年の同じ著者の集計で、当たった索引に抄録が無く(収録番号1991-06457-001)、そこには到達できていません。
02「悪魔の代弁者か、弁証法的討議か」と選ぼうとすると、1989年の一文が落ちる。1986年は前提の質では弁証法的討議のほうが有効だったと書き、3年後の追試は二つのあいだに差は無かったと書きます。この号は、どちらかを正解にしません。指標も設計も違い、単純な上書きとも言えません。ただ、二つを別物として扱う言い方は、少なくとも1989年の抄録には支えられていない、までです。
03「反対役を置いたかどうか」を成果の証拠として扱うと、受容の側が落ちる。逆接の後半は、両方の抄録にあります。1986年は、満足も、継続の意欲も、決定の受容も合意の側が上。1989年は、受容が合意の集団の成員より低い。どちらも、合意の集団との比較です。現場のものはあるのか。1969年は実在の企業ですが、統制群も検定もなく、三つを比べてもいません。著者自身が"it is necessarily sociological in nature"(必然的に社会学的な性格のもの)と限定しています。三つの手続きの効果を現場で比べた統制実験には、当たった範囲では行き着きませんでした。無いとは書けません。

並べると、形が見えます。実験室研究が2本(1986年・1989年)、集計が2本(1989年・1990年)、企業の事例が1本(1969年)、理論論文が1本(1996年)。実験室という場は、どの集団にどの手続きを割り当てるかを研究者が決められるからこそ、差を手続きの違いに結びつけて読めます。問題は、揃えるために外したものが、現場では外せない点にあります。決めたことが自分に返ってくるか、決める人どうしに上下があるか。
全文まで読めたのは6点のうち1点。読めていないものについては書きません。集計2本は同じ著者、実験2本は共著者2名が共通で、独立した6本ではありません。1996年は、過去20年広く研究されてきたが理論的な理解はほとんど存在しないと書く理論論文で、現場の反例にはなりません。会議をどう変えるか、誰に反対役を頼むかは、この号にはありません。
質が高いと出たのは、反対を組み込んだ側。
自分たちの決定を受け入れたのは、合意の側。
だから次の3手も、研究が命じた順番ではありません。研究が測ったのは、実験室で組まれた集団の決定の質と、その決定への受容です。当てにいきません。判定もしません。
TRY IT TODAY
- 01PICK
この一か月で自分がひとりで決めたことを一つ選び、決めた日と内容を一行書く。何でもかまいません。
- 02COUNT
決める前に自分が残した記録(メモ、下書き、予定表)を見る。「やらない理由」が一行でも書かれていたかを確かめ、あれば行数を数える。無ければ「0行」と書きます。
- 03ADD
その決めごとについて、いま思いつく「やらない理由」を一つだけ書き足す。決め直しも、良し悪しの判定もしません。残すのは、日付と内容・行数(0行を含む)・理由ひとつの3点だけ。
置いた。議事録にもそう書いてある。置いたかどうかは見える。効いたかどうかは、そうではない——というのが、この号の読み筋です。確かめられたのは三つ。1986年が、質では反対を組み込んだ二つが上回り、受容は合意の側が高かったと書いていること。1989年が、質は有意に高いが受容は低く、二つの反対役に差は無いと書いていること。そして出発点の1969年が、悪魔の代弁者を"tends to destroy the plan without replacing it with an improved plan"(改善された計画で置き換えず、計画を壊してしまう)として退けていたこと。今日残せるのは判定ではありません。記録が1件、残るだけです。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS組織的認知バイアス制御力を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 効果量
- 差や関連の「大きさ」を、単位の違う研究どうしでも比べられるようにした共通の物差し。「効果があるか」ではなく「どれくらいか」を表します。
- 95%信頼区間
- 推定値の「ばらつきを見込んだ幅」。同じ研究を何度もやり直したら、結果の多くがこの幅に収まると期待できます。幅が0(差なし)をまたぐときは、明確な差とは言い切れません。
- メタ分析
- 同じテーマの研究をたくさん集めて統合し、平均的な効き目を推定する方法。1本の研究より安定しますが、集めた研究の質と偏りに左右されます。
- 統計的に有意
- 「偶然だけでは説明しにくい」という意味の専門用語。効果が大きい・重要だという意味ではありません。ごく小さな差でも、人数が多ければ有意になります。
