IN ARTS · ISSUE 074
● 12 SEC対戦相手の強さを、人工知能に調整させる。2023年に Royal Society Open Science へ出た事前登録の実験は、参加者311人を、易しい100人・釣り合い109人・難しい102人に振り分けました。参加者は調整に気づいていません。それでも、体験された楽しさに条件間の明確な差は見られませんでした(F(2,308) = 1.29、p = 0.277——F値は群の差を群内のばらつきと比べた比で、1に近いほど違いはばらつきに収まります)。
この号が扱うのは、フローに入る方法ではなく、没入という状態が、どこまで測られてきたかです。挑戦と技能が釣り合ったときに最も深く没入する——条件表も山形の図も、広く配られてきました。配られにくいのは、その検算のほうです。
フロー誘発能(Flow Induction)は、没頭している状態ではなく、その状態が起きやすい条件を、練習の側に用意しておく力です。提唱者が挙げた条件は、挑戦と技能の釣り合い、目標のはっきりさ、その場で結果が返ること、注意が課題に集まり自分への意識が薄れること、時間の感覚が変わること。
性質の違うものが混ざっています。目標のはっきりさや、その場で結果が返る形は、練習の設計で用意できます。自分への意識が薄れることや、時間の感覚が変わることは、起きるかどうかの側です。

では、その条件表の中心に置かれてきた「釣り合い」は、どこまで確かめられたのか。まず測られたのは、この3つです。
01測られているのは、本人が申告した数字。測り方は経験サンプリング法。無作為な時刻に呼び出し機を鳴らし、いまの活動と難しさ・腕前・感じ方をその場で記入させます。1989年に Journal of Personality and Social Psychology へ出た成人労働者78人・1週間の研究では、挑戦と技能がともに高い条件が揃った時間の大多数は余暇ではなく仕事中に報告され、それでも同じ人たちは仕事より余暇をやりたいと答えました(動機の逆説)。記録は、難しさも腕前も没入の深さも本人が申告した10段階の数字で、客観的な難易度はほとんど入っていません。
02311人。気づかないまま、差は出なかった。2023年の事前登録の実験は、人工知能に相手の強さを調整させ、311人を易しい100人・釣り合い109人・難しい102人に割り当てました。参加者は操作に気づいていません。楽しさに条件間の明確な差なし(ηp² = 0.008——条件の違いで説明されるばらつきの割合で、0が「説明なし」。一般的な目安の「小」0.01にも届きません)。もう一度やりたいかにも明確な差なし(χ²(2,311) = 3.40、p = 0.183)。ただし差が見られなかったことは、3条件が同じだと示したことではありません。著者らの結論は、釣り合いがいつも没入と楽しさを左右するわけではない、というもの。対戦型ゲームでの一回の実験です。
03252本読んでも、向きは決まっていない。2022年に Frontiers in Psychology へ出た範囲確認レビューは、2000〜2016年の実証研究252本(系統的検索199本+専門家提供41本+一覧12本)を整理し、先行要因と帰結の因果構造を明らかにするには、実験研究と縦断研究がもっと必要だと書いています。没入すると上達するのか、上達すると没入しやすくなるのかは、まだ決まっていません。性格特性より状況の要因のほうが強く関係しているらしいこと、個人間の比較は13本、文化の違いは16本にとどまることも添えます。

ここで「では釣り合いは無意味なのか」と受け取ると、行き過ぎです。言えるのは確かめられていないまで。読み違いは、次の3か所で起きます。
01山形の図を、確かめられた法則として読んでいる。簡単すぎれば退屈、難しすぎれば不安、中間が最適——この山形は、条件表の一項目を図にしたもので、比較によって確かめられた法則ではない、というのがこの号の読み筋です(扱った範囲に、山形そのものを比較で確かめた研究はありません)。2014年に Social Indicators Research へ出た2つの研究は、屋外活動の参加者に経験サンプリングを行い、著者らの報告として、没入の指標は釣り合った条件で頂点にならなかったとしています。
02ちょうど良い難しさを、探し続けている。2012年に Personality and Social Psychology Bulletin へ出た研究はオンラインのチェスを対象に、人は自分より強い相手との対局と、接戦になった対局のほうを楽しんでいたという関係を見出しました。釣り合いの中心ではなく、少し上。単一の場ですから、別の芸事へそのまま持ち出せません。それでも311人の実験と合わせると、難易度の微調整に練習時間を割く根拠は、この号が扱った範囲では見当たりません。
03入れたかどうかを、毎回採点している。条件表には「注意が課題に集まり、自分への意識が薄れる」が入っています。入っている最中に「いま入れているか」を点検する行為は、この条件表と噛み合いません。名前がつくのはいつも事後——というのがこの号の読み筋です(この順序を比べて確かめた研究は扱っていません)。2022年の面接研究は、競技レベルの学生22人(運動選手10人・演奏家12人、19〜31歳)への聞き取りから、準備の段階に共通する要素——準備運動、注意の置き方、身体感覚の確認、不安や緊張の処理——を挙げました。著者らは適切な訓練である程度は制御しうると論じ、入ったあとの時間や強度は予測しきれないとも。質的な面接研究で、効果の大きさを測った試験ではありません。

六つを並べ直すと、形が見えます。測られてきたのは本人が申告した10段階の数字。311人の実験では楽しさにも再挑戦意欲にも明確な差が出ず(差がないと示されたわけではありません)、屋外活動では、著者らの報告として、没入の指標は釣り合いの条件で頂点になっていません。252本のレビューは因果の向きに実験研究と縦断研究が要るとし、チェスでは強い相手と接戦のほうが楽しまれ、22人の面接研究は準備の段階の共通要素を報告しました。
全文まで読めたのは6点のうち3点。残りは抄録の範囲か、著者らの報告としての向きだけを置き、件数・回収率・割合は扱いません。引いた研究は欧米の労働者・大学生・屋外活動の参加者・オンラインのチェス指しに偏ります。確かめられていないのは「釣り合いがいつでも最適だ」の一点で、この状態そのものが無いという話ではありません。あなたの稽古場の数字でもありません。
設計できるのは、条件のほうだけ。
——というのが、この号の読み筋。
次の3手も、研究が命じた順番ではありません。難易度の微調整をやめれば没入が増える、と確かめた研究を、この号では扱っていません。ここからはALIFEが提案する実践の入口です。
TRY IT TODAY
- 01SET
今日のうちに、間隔を空けたアラームを3回セットする。手を止められる時間帯を選ぶ。
- 02RATE
鳴ったら思い出さずに、その場で3つだけ書く。いまの難しさ、いまの腕前の感じ、いまの没入の深さ。10段階で。
- 03COMPARE
3回分が揃ったら、難しさと腕前の差と、没入の数字を並べる。差がゼロに近いときに没入が最大かだけを見る。
フロー誘発能は、入り方の技術につけられた名前ではありません。確かめられたのは、没入の記録が本人の10段階の自己申告に依存していること、311人の事前登録実験で楽しさにも再挑戦意欲にも明確な差が出なかったこと(差がないと示されたわけではありません)、252本のレビューが因果の向きはまだ決まっていないとしていること、22人の面接研究が準備の段階の共通要素を報告していること。入れるようになるとも、上達が速くなるとも、研究は約束していません。——今日残るのは判定ではなく、難しさと腕前と没入が3回分。数字が9つ並ぶだけです。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUSフロー誘発能を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 観察研究・前向き研究
- 介入せずに経過を追いかける研究。「関連がある」までは言えますが、「それが原因だ」とは言い切れません。
- p値
- 差がないと仮定したとき、偶然でこの結果以上が出る確率の目安。小さいほど偶然では説明しにくいことを表しますが、効果の大きさは表しません。
