IN BODY · ISSUE 018
● 12 SEC腸の中を、自分の目で見たことは、たぶん一度もないはずです。それなのに、腸についての数字はよく覚えている——「免疫細胞の70%は腸にある」。では、それは誰が数えたのでしょうか。
たどると、2008年に出た総説の一文で行き止まりになります。その文に付いていた出典をたどっても、測定には行き着きませんでした。この号は、腸に良いものを足す話ではなく、見えない場所についての数字をどう読むかの話です。
腸内環境(Gut Microbiome)とは、腸のなかにいる細菌の集まりと、その細菌たちが体との間で作っている状態のこと。前の号が「口から何を入れるか」だったとすれば、この号は入れたものが、そこで何に変えられるかを扱います。
ただし腸は、本人がまったく見られない場所です。血圧には計器があり、皮膚には鏡がある。腸の中は、内視鏡か、便という間接的な出力を通してしか見えません。

見えない場所については、二つのことが起きます。ひとつは、説明が後から作られること。もうひとつは、数字が検算されないまま流通すること。よく引かれる数字を、3つたどってみます。
01「70%」の出どころは、たどれなかった。査読論文のデータベースを、この主張の語でさかのぼりました(査読誌のデータベースを、2026年8月時点で確認できた範囲です)。行き着いたのは、2008年に Clinical and Experimental Immunology の別冊へ載った総説の要約にある一文——腸管に付随するリンパ組織は、免疫系全体のほぼ70%を占める。この文に付いている参照は1件(2000年の解説論文)ですが、その参照先に、70%という数値も測定も出てきません。総説の記述であって、数えた研究の報告ではないのです。しかも元の文は「免疫系全体のほぼ70%」で、組織についての記述でした。「免疫細胞の70%」という細胞の数の話ではありません。そこからさらにさかのぼっても、古い一次情報にはたどり着けませんでした。無いと断定はしません。この範囲では見つからなかった、というだけです。
02この推計で、数が最も多い場所は腸ではなかった。2023年に Proceedings of the National Academy of Sciences へ出た推計は、文献の調査・組織の画像解析・メチル化パターンからの細胞種の推定を統合して、体じゅうの免疫細胞を見積もりました。体重73kgの基準となる男性で、約1.8×10¹²個(95%信頼区間 1.5〜2.3×10¹²)・約1.2kg(同 0.8〜1.9kg)。リンパ球は細胞数の40%・質量の15%を占め、その多くはリンパ節と脾臓に。好中球も数では同じくらいの割合ですが、多くは骨髄にいました。腸が免疫にとって重要でない、という話ではありません。この推計では、数として最も多い場所が腸ではなかった、というだけです。基準となる一人の男性像についての推計であって、全数を実測したものではありません。
03「人の細胞の10倍」は、ほぼ同じ桁に直された。腸内細菌は人の細胞の10倍——2016年に PLOS Biology へ出た推計が、これを数え直しました。細菌が約3.8×10¹³個、ヒトの細胞が約3.0×10¹³個。10倍ではなく、だいたい同じ桁です。細菌の総質量は約0.2kg。同じ論文は冒頭で、体の細胞数として報告されている値は桁で食い違っており、測定や計算に裏づけられていることは非常にまれだ、と書いています。10対1という数字は、40年以上そのまま引かれ続けました。これも基準となる成人男性についての推計です。

いま自分が読んでいる数字が、確かめられたものなのか、引かれ続けただけのものなのか。日常の中に、手がかりがあります。
01主語が、短くなっている。「腸管に付随するリンパ組織は、免疫系全体のほぼ70%」という組織の話が、いつのまにか「免疫細胞の70%」という細胞の数の話になっている。引用の連鎖のなかで主語が短くなるのは、この数字に限りません。
02平均の話が、自分の話として届く。健康な人に市販のプロバイオティクス製品を一定期間とってもらい、便ではなく内視鏡で腸の粘膜から直接採取して定着を調べた2018年の研究(Cell)では、定着の仕方が人によって・腸の部位によって・菌の株によって違いました。しかも便を調べても、粘膜に定着したかどうかは見分けられませんでした。平均を取れば「わずかに変化した」になりますが、その平均は、大きく変わった人と何も起きなかった人を1つの数字に潰しています。健康な成人が対象で、標本の小さい研究が多い領域です。
03同じ食事に、同じ反応を期待している。800人の血糖を1週間続けて測り、46,898食への反応を集めた2015年の研究(Cell・イスラエル)では、同じ食事に対する食後血糖の反応が人によって大きく違っていました(予測のしくみは、別の100人で確かめられています)。ベルギー1,106人・オランダ1,135人(他集団のデータと統合した解析では3,948人)の住民調査では、生活と臨床の69項目が腸内細菌の組成の違いと関連し、最も大きな効果を持っていたのは便の硬さでした。いずれも観察された関連で、何が何を決めるかまでは言えません。

2018年に Cell へ出た研究は、市販のプロバイオティクス製品について、便ではなく内視鏡で腸の粘膜から直接採取して、定着したかどうかを調べました。同じものを同じ期間とっても、粘膜に定着した人と、まったく定着しなかった人がいた。この研究の中では、飲む前のその人の腸内細菌と体質の特徴から、定着しやすさをある程度説明できました(別の集団での検証は行われていません)。粘膜の状態への影響は一時的で、人ごとに違いました。健康な成人が対象の、標本の小さい研究です。ここから効いた・効かないを決めることはできませんし、示されたのはプロバイオティクスの定着についてであって、「腸に良い」とされるもの全般ではありません。それでも、少なくとも同じ入力が同じ結果になるわけではないことは、直接見て確かめられています。
ここまでの数字は、ほぼすべて欧米の成人を対象に採られています。腸内細菌の研究は標本の小さいものが多く、日本人を対象にした追試はほとんどありません。観察研究で見えた関連は、健康な人ほどその習慣を持てるという逆向きを排除できません。そして、妊娠中の人・子ども・持病のある人・薬を飲んでいる人に、そのまま当てはめることはできません。
平均は地図であって、
自分の場所ではない。
だから、続けてみて何も起きなかったとしても、やり方が浅かったわけではありません。「あなたの腸には合わなかった」は、売り手にとって都合のいい逃げ口上として使われる一方で、内視鏡で直接確かめられた、数少ない裏づけのある事実でもありました。
TRY IT TODAY
- 01PICK
体に良いと思って続けている食べ物を、ひとつだけ選ぶ。
- 02TRACE
始めた理由の出どころを1行で書く。人から聞いた、記事で読んだ、広告で見た、なんとなく。
- 03READ
書いた2行を、一度だけ読み返す。やめる必要も、変える必要もない。
腸の話には、商売として都合のいい条件がそろっています。誰も自分の中を見られない。変化があったかどうかは、本人の感想でしか測れない。しかも中身は人によって違うので、何も起きなかった人には「あなたの腸には合わなかった」と言える。反証の逃げ道が、最初から仕様に組み込まれているのです。
数字を1つ覚えるより、その数字を誰が数えたのかを1度たどるほうが、たぶん長く使えます。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS腸内環境を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 95%信頼区間
- 推定値の「ばらつきを見込んだ幅」。同じ研究を何度もやり直したら、結果の多くがこの幅に収まると期待できます。幅が0(差なし)をまたぐときは、明確な差とは言い切れません。
- 観察研究・前向き研究
- 介入せずに経過を追いかける研究。「関連がある」までは言えますが、「それが原因だ」とは言い切れません。

