IN SELF · ISSUE 007
● 12 SEC痛みが出そうだから出かけない。だるくなりそうだから約束しない。落ち込みそうだから連絡を返さない。ひとつひとつは合理的な判断で、そのたびに少しだけ楽になります。
半年後。症状は同じくらいの強さのままで、行ける場所だけが減っている——この号が扱うのは、その減り方のほうです。症状を消すための技術の話ではありません。
心理的柔軟性(Psychological Flexibility)とは、状況の求めるものに応じて自分の資源を配置し直し、視点を切り替え、大切にしていることと目の前の欲求のあいだで釣り合いを取る——その能力の束のこと。2010年のレビューが、健康の基礎的な側面として整理した言い方です。
ここで見られているのは、症状の強さではありません。症状を消すために払っている労力のほうです。痛みが出そうな道を通らない。だるさが出そうな時間帯に予定を入れない。どれも筋の通った判断で、実行すれば確かに短期の安堵があります。

ただし、同じ「予定を削る」でも勘定は二つに分かれます。体力の配分として削るのはペース配分。その感覚と接触しないために削るのが、体験の回避です。判定するのは行動の形ではなく、目的のほう。
期待値も先に置いておきます。この考え方を中心に据えた治療法は、待機している人たちと比べれば差が出ます。けれど、確立された既存の治療と比べた差は、二つのメタ分析のどちらでも明確には示されていません。値切られたのは売り文句のほうで、逆説そのものは残ります。その中身を、3つに分けます。
01安堵は先に、縮小は後から。体験の回避とは、内側に生じる感覚・感情・思考・記憶と接触し続けることを望まず、その形や頻度、それが起きる文脈を変えようとすること。生活上の害が出てもなお続く点が定義に含まれます(1996年の理論論文。臨床観察と行動理論からの整理であり、効果を測った試験ではありません)。短期の欄には安堵が、長期の欄には行ける場所と会える人の減少が計上される。毎日更新されるのは、短期の欄だけです。
02抑えた分は、やめた後に返ってくる。思考抑制の逆説を扱った31研究のメタ分析(統合対象は実験室の思考抑制課題)では、抑制をやめた後に思考が増えるリバウンド効果が、認知的な負荷の有無にかかわらず検出されました。一方、抑制している最中に増える即時の増強効果は、別の負荷がかかっている条件でのみ観察されています。これは統合値であって、個々の研究の結果が一様だという意味ではありません。実験室の課題であり、病気の症状そのものを抑える場面を測ったものでもない。その範囲での読み方が、「消す作業には後払いの請求が来る」です。
03差が出るのは、比較の相手しだい。精神と身体の健康問題を対象とした39の無作為化比較試験・1,821人のメタ分析では、Hedges の g は待機群と比べて0.82、通常ケアと比べて0.64、心理的プラセボと比べて0.51。ところが確立された既存の治療と比較した場合は有意差がなく(p=0.140)、明確な差とは言えませんでした。欧米の成人を対象とした比較的短期の試験が中心で、重い状態の人ほど試験に入りにくい点も、数字の読み方に効いてきます。

いまの削り方がペース配分なのか、接触を避けるためなのか。日常のなかに手がかりがあります。以下は研究が測ったチェックリストではなく、原典が挙げた「妨げるもの」を日常の言葉に置き直したものです。
01目的が、答えられない。「今日はなぜ行かないのか」に、体力の配分としての理由が出てこない。行動の形は同じでも、ここで勘定が分かれます。
02良い日に、まとめてやる。体調の良い日に全部やると翌日に反動が来て、その反動の記憶が次の回避を正当化する。
03「引いてから」が、口ぐせ。症状が引いてから始めるつもりでいる。原典の整理では、それも回避の別形態として数えられます。

60の無作為化比較試験・4,234人を統合した2014年のレビューでは、全比較を通じた平均効果量は0.42。同じ著者による2008年の統合の0.68から下がり、方法論的な品質には6年間で有意な改善が見られませんでした。認知的または行動的な治療と比較した効果量は0.16で、こちらも明確な差とは言えません。著者の評価は、どの疾患についても「確立された」水準には達していない、というものでした。
慢性の痛みを抱える114人を8回のグループ形式に無作為に割り付けた試験でも、痛みによる支障・抑うつ・不安の改善に条件間の差は出ていません。差が出たのは、治療への満足度のほうでした。114人の単一試験なので、これだけで結論が決まるわけではありません。
受容は、あきらめの上品な言い換えではない。
消す作業に払っている費用の、付け替えである。
だから「気持ちが変わってから」を待たなくて構いません。この枠組みでの受容は気分ではなく、行動の側の操作です。感覚は残ったまま、予定のほうが実行される——それだけのことを指しています。何をどう治療するかは、この話とは別に医療者と決めることです。
TRY IT TODAY
- 01DIRECTION
大切にしている方角を、今日ひとつだけ決める。
- 02SMALL
やめようと思えば5分でやめられる大きさに落とす。
- 03NOW
安全が確認されている範囲で、小さく始める。
症状を消す作業に払っている費用を数えて、その一部を今日の予定に付け替える。それだけなら、どの治療法を選ぶかという話にもなりません。採点の対象を、症状の強さではなく生活の面積のほうに置いておく。この号が渡せるのは、そこまでです。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS心理的柔軟性を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 効果量
- 差や関連の「大きさ」を、単位の違う研究どうしでも比べられるようにした共通の物差し。「効果があるか」ではなく「どれくらいか」を表します。
- メタ分析
- 同じテーマの研究をたくさん集めて統合し、平均的な効き目を推定する方法。1本の研究より安定しますが、集めた研究の質と偏りに左右されます。
- 無作為化比較試験
- くじ引きの要領で「介入を受ける群」と「受けない群」に分けて比べる実験。「効いたかどうか」を言うための標準的な設計です。
- 統計的に有意
- 「偶然だけでは説明しにくい」という意味の専門用語。効果が大きい・重要だという意味ではありません。ごく小さな差でも、人数が多ければ有意になります。
- p値
- 差がないと仮定したとき、偶然でこの結果以上が出る確率の目安。小さいほど偶然では説明しにくいことを表しますが、効果の大きさは表しません。

