IN LEGAL EXECUTION · ISSUE 458
● 12 SEC人を雇うと、賃金や労働時間や退職をめぐるもめごとが、いつか自分の側の問題になります。そのとき最初に出てくるのは、たいてい書類の話です。就業のきまりを整える、チェックの項目を埋める、相談の窓口を掲げる。揃えること自体は正しい。ただ、揃えたことが「もう大丈夫」という安心に化けるのは、別の話です。
この号は法律相談ではありません。この働き方に協定が要るのか、この残業代はいくらか——個別の判定はしません。書けるのは、公式の制度と法令が何を定めているかという事実と、整えることがどこまで「防ぐ」ことになるのかを、読めた範囲の研究がどこまで測っていたかです。測られていたところと、測られていないところは、はっきり分かれていました。
労務トラブルとは、賃金・労働時間・休暇・退職といった働く条件をめぐって、雇う側と働く側のあいだに起きるもめごとのことです。厚生労働省の案内によれば、個別の労働紛争には、総合労働相談コーナーでの情報提供・相談、都道府県労働局長による助言・指導、紛争調整委員会によるあっせんという三つの援助制度があり、いずれも「簡易・迅速・無料・秘密厳守」と記されています。

もう一段あります。裁判所の労働審判です。案内によれば、原則として3回以内の期日で審理を終えることになっています。期間の数字も出ています。ただし、その平均が何をならしたものかまで見ないと、同じ数字が「いま申し立てたらこのくらい」という話に化けます。
01受け皿の数と期間は、公表されている。厚生労働省の案内は、相談・助言指導・あっせんの三つを挙げ、利用は無料だと記しています。裁判所の案内は「平成18年から令和6年までに終了した事件について、平均審理期間は82.6日であり」と書き、65.5%が申立てから3か月以内に終わったとしています。82.6日は単年ではなく、平成18年から令和6年までの19年分を、まとめてならした平均です。
02苦情の窓口の形は、法をまねて広がると描かれた。1999年の論文は、組織が法にどう応える形を作るかを扱い、適切な解決策についての物語=「rational myths(合理的な神話)」に導かれて、公の法秩序をまねた形が採られ、裁判所がその形を公正の判断に取り込んでいく、というモデルを立てました。置かれたのはモデルと、米国の雇用機会均等の苦情処理手続きという一つの事例で、手続きが紛争をどれだけ防いだかは測られていません。
03米国の民間仲裁では、帰結が一様ではなかった。米国の民間の仲裁機関が扱った、雇用主が定めた手続きによる仲裁3,945件(2003年1月〜2007年12月に終結)の記録では、審問後の裁定に至った1,213件のうち働く側の勝率は21.4%、勝った事件の賠償額の中央値は36,500ドルと報告されました。同じ雇用者が繰り返し現れる事件、同じ仲裁人と同じ雇用者が組む事件では勝率も賠償額も低いという強い証拠が示されています。日本の労働審判とは制度が別です。

自分がいま数字のどちら側にいるのか。日常の言い方に、手がかりがあります。
01平均だけを見て、何年分かを見ていない。82.6日という数字は、平成18年から令和6年までに終了した事件をならしたものだと、同じ案内に書かれています。単年の数字として受け取ると、いま申し立てたらどのくらいかかるのか、という問いには答えていないことになります。
02書類が揃っていることを、守られている証拠として数えている。1999年の論文が立てたモデルでは、法をまねた形が採られる動機として、費用を抑えることと遵守を象徴することが挙げられています。形が整っているかどうかと、現場で守られているかどうかは、別に確かめるしかありません。
03米国の数字を、自分の職場の見通しに使っている。勝率21.4%も、賠償額の中央値36,500ドルも、米国の民間の仲裁機関が扱った、雇用主が定めた手続きによる民間の仲裁の記録です。裁判所が行う日本の労働審判とは、別の制度です。

この号が全文まで読めたのは、厚生労働省と裁判所の案内の2点です。研究4本については、公式の要旨までしか読めていません。読めていない部分については書きません。要旨の範囲で言えるのは、ここまでです。手続きの形について置かれたのはモデルと一つの事例であり、帰結の偏りが測られたのは米国の民間仲裁の記録でした。
そして、読めた4本のうち1本は、逆の向きの報告です。2005年の論文は、米国の衣料品産業で連邦最低賃金法の遵守を調べ、請負業者への無作為抽出の調査から、厳格な形の請負業者の監視が、最低賃金基準の違反の大幅な減少と結びついていたと報告しました。外からの監視と違反の少なさが結びついた、という肯定の側です。ただし割り付けた実験ではなく、対象は米国の衣料品の請負業者でした。
平均は、何年分をならしたものか。
そこまで読んで、はじめて数字になる。
もうひとつ、案内に書かれていることを。厚生労働省の案内には「労働者がこれらの制度を利用したことを理由として、事業主が労働者に対して不利益な取扱いをすることは法律で禁止されています」とあります。これは要件の話であって、効果の話ではありません。制度が在ることと、もめごとが減ることは、別の文で書くしかありません。
TRY IT TODAY
- 01LIST
紙かメモに今日の日付を書き、三つの項目を並べる。36協定、労働時間の記録、働くうえでの基本のきまり。
- 02MARK
手元の書類だけで、それぞれに「ある」か「空白」かを書く。人の働き方は見ない。
- 03KEEP
空白だった項目に印を付け、そのまま残す。評価も点数も付けない。
公式の受け皿は実在します。三つの援助制度も、原則3回以内という審判の期日も、利用したことを理由とした不利益な取扱いの禁止も、案内に書かれている事実です。いっぽう、規程やチェックの項目を整えることが紛争をどれだけ防いだかは、要旨まで読めた4本の、その要旨の範囲には出てきませんでした。数字は在る。読むのは、その数字が何を数えたものか、までです。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS「労務トラブルを防ぐには?」を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 中央値
- 全員を並べたときの、ちょうど真ん中の人の値。平均と違って、極端な値に引っ張られません。
