IN CUSTOMER · ISSUE 252
● 12 SEC「期待を超えろ。」「最後を良くしろ。」接客の助言は、たいていこの二つに落ち着きます。この号が見るのは中身ではなく、それを支える測り方と、原典に何が書いてあるか、です。会社名も商品名も書きません。
出発点は引き算——事前に期待した水準から、実際に知覚した水準を引く。1992年に Journal of Marketing 56巻3号へ出た論文は、いまの操作化が満足と態度を混同していると指摘し、出来に基づく測度〔原典の語は performance-based measure〕のほうが"may be an improved means"(より良い測り方かもしれない)と報告しました。
翌1993年、同じ雑誌の57巻4号は、同じ枠組みを「妥当性の疑わしいもの」と結論します。問題は三つ——期待の概念的な定義、期待という成分の理論的な正当化、期待の測度と修正された期待の測度の測定妥当性。第一が、「期待」という語の定義そのものです。ただし「必ず間違う」ではなく、同じ論文は代わりの模型を作って検証しています。
同じ1993年、別の雑誌でも応酬が。Journal of Retailing 69巻1号——127-139頁に批判、同じ号の140-147頁に、この測り方を作った三人の応答。冒頭は"In this note we respond to Brown, Churchill, and Peter's (1993) critique of SERVQUAL's difference-score conceptualization."(この覚書で我々は、ブラウン、チャーチル、ピーターの1993年の、SERVQUALの差分得点による概念化への批判に応答する)。この応答論文に、先の二本の著者名は一度も出てきません(三つの姓とも0件)。応酬は一本ではなく、独立した二系統でした。
芯はその先です。同じ回答者が同じ対象(取引先の金融機関)を二つの測度で評価したのに、含意が逆を向いた——一方の平均は−0.82で知覚が期待に届かず、もう一方は7点尺度の4.51で逆の結論になる。著者らがもっとも尤もらしい説明として挙げたのは、相手の測度の捉える「期待」は"may be representing a lower standard"(より低い基準を表しているのかもしれない)、でした。同じ一語で二つの物差しが別の高さを測っていた可能性が、当事者の口から出ています。

看板は、同じ論文の後半です——"we have measured two levels of expectations--adequate and desired"(期待を二つの水準——当然の水準と、望ましい水準——で測っている)。その間の空間を、著者らは「許容の帯」と呼びます。枠組みを作った側が、1993年に、引く側を二つに分けていた。読めた範囲で名前がついている水準は、この二つだけです。
011992年の論文は、出来に基づく測度のほうが良い測り方「かもしれない」と報告した。①出来に基づく測度のほうが、質のより良い測り方かもしれない ②質は満足に先立つ ③満足は購買意図に有意な効果を持つ ④質の効果は、満足のそれより小さい。読めたのは抄録までで、標本も業種も統計量も印字がなく、原典は国を書いていません。
021993年の論文は、三つの問題ゆえに妥当性が疑わしいと結論した。第一は、語の定義である。引き算をするとき、引かれる側が何を指すのかが決まっていない。この論文は1992年の論文を参考文献に含みますが、応答論文ではありません。独立に疑問を出した関係です。
03同じ1993年、別の雑誌の同じ号で、127-139頁の批判に140-147頁が応答している。127-139頁へは書誌までで、抄録は公開されていません。中身は、応答の側の要約を帰属つきに引くだけです。応答の結論は両側の否定です——"neither demonstrates clear superiority for the non-difference score format nor warrants abandoning the difference-score format"(差分でない形式の明白な優位を示してもいないし、差分の形式を捨てることを正当化してもいない)。

「最後を良くしろ」の原典は、痛みの研究です。1993年の Psychological Science 4巻6号の実験で、参加者は14度の水に60秒つける短い試行と、そのあと15度まで上げながらさらに30秒続ける長い試行の両方を受けました。どちらを繰り返すか選ばせると、有意に多数〔偶然の偏りにしては多すぎる、という判定です〕が長いほうを選んだ。総量では長いほうが痛いのに、です。
1996年の Pain 66巻1号は、これを医療の場で見ています。内視鏡検査を受けた154人と、砕石術を受けた133人の痛みを実時間で記録し、振り返っての評価と照らしました——「総量としての痛みの判断は、痛みの最大の強さ(P < 0.005)と、処置の最後の3分間に記録された強さ(P < 0.005)に、強く相関していた」(いずれもP<0.005)〔千回に五回に満たない見込み、という判定の目安で、関係の大きさを表す数ではありません〕。154人と133人は別々の処置で、足していません。相関の報告であり、買い物や接客の研究でもありません。
01「期待を超えたかどうかは、測れば分かる」——引く側の定義が、三つの問題の第一に挙がっている。「期待」は、一つの高さではありませんでした。作った側自身が、同じ1993年の応答で二つの水準に分けています。ただし平均−0.82についての当事者の読みは、一つの研究の一つの平均についてのもので、どこでも下回ると示した結果ではありません。
02「最後を良くすれば、全体が良く記憶される」——原典は14度の水と、154人・133人の痛みの記録である。最後を良くしたら記憶が良くなった、を確かめた設計ではありません。そのうえ二本は、独立した二つの検証ではありません。1993年の実験の共著者は四人、1996年の著者は二人で、その二人とも1993年の共著者です。無作為な割り付けの記述は、全文まで読めた1本と、抄録まで読めた5本の抄録に1件もありません。
03「接客では、平均より山場と終わりが効く」——測り直した2004年の研究は、平均的な出来も重要だと示している。2004年の Journal of Service Research 7巻1号は、やりとりを出来事の連なりとして測り直し、平均的な出来が重要だと示したうえで、満足の形成には頂点の体験も重要だと強調しました。「最後だけ良くすればいい」ではなく、「平均に加えて、頂点も」です。痛みの「最後の3分」と、接客の「平均と頂点」は、同じものではありません。

全文まで読めたのは、7本のうち1本です。内訳は全文1本・抄録5本・書誌1本で、1+5+1で7本。読めていないものについては書きません。1993年の実験の参加者数も、抄録に印字が無いので書いていません。
測られているのは、あなたの健康ではありません。14度の水も内視鏡検査も砕石術も、痛みがどう記憶されるかを調べるために出てくるだけです。著者や誌面の重なる組があるので、独立した七つの証拠として数えないでください。そして「期待を管理せよ」も「最後を良くせよ」も「良い頂点を作れ」も渡しません。期待を下げておいて超える設計も書きません。
平均は−0.82で、知覚は期待に届かなかった。
期待の成分が「理想」の基準の一種だからだ、と応答論文は書いている。
だから次の3手も、研究が命じた順番ではありません。点は付けません。相手にも尋ねません。
TRY IT TODAY
- 01PICK
最近、誰かに何かを約束した場面を一つ思い出し、そのとき伝えた水準を、思い出した言い方のまま一行書き写す。
- 02SORT
その一行に、**「当然の水準」か「望ましい水準」か、どちらとも言えないか**の札を付ける。二つの名前は、作った側が1993年の応答で使っている語です。
- 03NOTE
最後に、その一行が数か日付で言い切れているかを一言だけ書く。「三日以内」なら言い切れている、「なるべく早く」なら違う。
年代順に並べると、1992年の「満足と態度を混同している」、1993年の「三つの問題ゆえに妥当性が疑わしい」、別の雑誌の同じ号での批判と応答、その応答の中の「期待を二つの水準で測っている」、1993年に14度の水で「持続時間の役割は小さい」。動いたのは、答えではなく引く側でした。
一語が三十年もったのは、当たっていたからというより、どの高さにも合わせられる形をしていたからではないか——というのが、この号の読み筋です。超えたかどうかは、何を期待と呼ぶかで決まる。今日残せるのは判定ではありません。一行と、札と、一言。記録が1件、残るだけです。
SECOND LAYER · FULL SYLLABUS顧客期待値管理力を、もっと深く学ぶ。→HOW TO READ THE NUMBERS数字の読み方+
この号に出てくる統計の言葉です。数値は原典のまま、意味だけをほどいています。
- 統計的に有意
- 「偶然だけでは説明しにくい」という意味の専門用語。効果が大きい・重要だという意味ではありません。ごく小さな差でも、人数が多ければ有意になります。
